2022年11月

2022年11月30日



(17:09)

2022年11月29日

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はい、ぼちぼちYOUTUBE界でも、今後にほぼ起きると確定している『食糧危機』についての動画や注意喚起などが非常に多くなって参りました。 と言う事で、ざっくり備蓄についてメモをしておこうと思いますので、必要な方は情報の1つとして参照して下さい。



【私個人がたどり着いた結論】
やっぱり缶詰が一番良いということ!!

理由1:長期保存が出来る!(約2~3年)
理由2:安価で購入できる!(100円~)
理由3:ダイソーでも買える!(鯖、鰯、秋刀魚、煮物など)
理由4:無駄にならない!(消費しながら購入継続できる)
理由5:非常時に火や水を使わないで食事できる!
理由6:非常時にリュックなどに携帯できる!
理由7:賞味期限切れになっても、全然食べれる事が判明!!

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【お金に少し余裕のある人は・・・・】
今の時代はフリーズドライです!!

理由1:長期保存が出来る!(約5~10年、高級品は30年)
理由2:種類が豊富にある!(ご飯系も充実している!)
理由3:保存食なのに普段食べても美味しい!
理由4:水やお湯で簡単に調理できる!
理由5:大量に購入しても軽量!
理由6:味噌汁などは非常に安価で買える!!



【その他の豆知識いろいろ】

その1:ガムやアイス、冷凍食品には賞味期限が無い!

その2:ボトルの水は未開栓なら賞味期限は無い!
(計量法の法律上の表記なので、水の賞味期限ではない!)

その3:アルミ缶や厚手のアルミ包装の食品は長持ちする!
(市販のカレーなどは賞味期限が1年程度しかないので注意)

その4:カップ麺は、油揚げ麺の場合は賞味期限切れから
1か月以内に食べないと酸化してダメになりますので注意!
ノンフライであれば、2・3か月くらい猶予があります。
(実食する場合は、変色や異臭のチェックをするように!)

その5:フルーツの缶詰は意外と持たない!(期限内に消費を!)

その6:缶詰の賞味期限切れを食した記録では約10~20年!
(もちろん、保存状態や食材によっては厳しい場合もある)

その7:フリーズドライの賞味期限切れの場合は1年半まで!
(製造方法によっては2・3か月と短い場合もあります)




(17:13)

2022年11月25日

2022年11月23日


【1】
西洋哲学の淵源は、古代ギリシャに始まる。
厳密に言えば、まだ体系化されていない状態で言えば、
古代シュメール神話が主な起源とも言えるだろう。

そして、その流れの中で大系化、儀礼、概念化が整い始めたのが
主に仏教(この場合は仏説すなわち初期仏教)であり、そして、
西洋ではプラトンによって、師ソクラテスの思想がまとめられた。

人間が終始求め続けて来たその問いを一言で言うならば、
それは西洋なら『神』という存在についてであり、この逆説が
『人間とは何者か?』という根本的かつ、究極的な問いである。
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東洋でもそれは本質的に大差は無いが、視点が明確に異なっている。
仏教では、『悟り(真理)』の探究すなわち、『苦しみ』の解決、
そして『涅槃(心の平安)』についての詳細を常に問い続けて来た。

また、こうした探究者(僧侶)たちによる後の教団化(宗教化)は、
現代に至るまで、非常に長い歳月を経て、私たち個人にも知られている。

また、私たちが何気なしに日々送っている生活や仕事などにおいても、
また、伝統文化においても、言葉においても、宗教性は不可欠となって
時代を超えて、その根底に横たわっている事は、言うまでもないだろう。


【2】
そして、この求道者や宗教者たちが問い続けている難問は何かと言えば、『存在論』についての究明である。

これの解決は、要するに『神仏の存在』も同時に解決するという事になる。人間が大宇宙の謎を解明するのと同じように、相互の関係にある。
だから、神の存在や仏の意味するものが何かが分かれば、事足りるのだ。

もちろん、ここに信仰という形式を持ち込んでしまうと、軌道を外れる。信仰についても、詳しく解説する必要があるが、ここではまず最初に根本である問題の存在論を研究者の水準で、率直に言及しておきたい。
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まず、最たる説法は仏説が最上であることは、容易に確認することが
できるので、各自がそれを成すべきであるが、著名な書籍の力を
借りるならば、大家の中村元や三枝 充悳、湯田豊などが挙げられる。

要するに、言語学に精通していて、古代インド史、思想史、宗教史
などの厳密を期す諸研究による必要がある。

もちろん、研究を進めて行けば、アカデミズムの権力問題や形骸化
などの看過できない障害も多く出て来るので、注意深く参照する。


【3】
それで、一般的な捉え方としては、人間が『自分』や『私』として
認識しているその対象は、いずれの場合も言葉すなわち言語である。

まして、その言葉というのは、これ自体も文明の利器(発明)であり、
決して自然界にあるものでは無い。

たとえ、動物などが脳から微弱な電波を発して、通信しているものを
動物界の会話という風に見れば、言葉もここに連なるものであると、
見る事も十分に可能だが、それは飽くまでも類似であって同じではない。

この辺りの厳密な区別、識別は正しく行わなければ、瞬時に見誤る。

話は戻るが、人間が自分を指して『私』という時の、その『私』なる
存在は、一体何なのかという事なのである。

単なる言葉遊びなどでは無く、ここからして実際問題、不自然だからだ。

ご存じの通り、人間の脳の働きは、取り込んだ情報をいくつかの
フィルターに通した上で、必要な情報だけを取り出して、それを
脳内の様々な場所で適切なかたちに形成・補正されたものを
私たちは「私である」とか、「それはリンゴである」と認識している。
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つまり、人間が視覚で見たものは、瞬間的に情報が補正されて、
その人間の状態に適切に合う形に再構成されて、再現されているのです。

それだから、今目の前にあると思われている、たとえば「リンゴがある」というその認識は、必ずしも事実に基づいているとは言えないのである。

近代の量子論は、それをズバリ公言してしまったので、世界に衝撃が
走ったわけであるが、むしろ、この事は既に仏法が説いていた事だった。

近代物理学は、むしろ、仏法の真髄なるものを裏付ける形で融合した。

そういう事実を踏まえて再度、この世界の歴史や人類の足跡を見渡せば、何らの宗教対立も民族戦争も、確かに『あって無いようなもの』である。
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量子論的に言えば、多くの人が『ある』とか『ない』とか思っている
“それ”は、気が付いた時には粒子になって物質化したものを
私たちは固定的に五感で捉えて、自分の認識を円滑に動かしている。

先ほども述べたように、『言葉』が持つ魔力なるものの正体を言えば、
それは“あるもの、ないものを自由に創ったり破棄できること”である。

たとえば、さっきの「リンゴがある」という言葉は、不正確と言った。
実際に起きている事象はリンゴについての概念化と、それを言葉に
添えて音声を発する(相手に伝える)という物理現象でしかない。

物理現象として事実と言えるのは、発語者が音を発したという事実で
あって、決して『リンゴがあるという事実』を証明してはいない。

では、何故このような矛盾が発生し、またその矛盾を人類は用いたか。


【4】
それは簡単に言えば、『文明社会における便宜』である。
そもそも、文明社会の不動のスローガンは、“自然を支配する”ことだ。
あるいは“管理する”という思想の基に、今日の文明社会は意味を持つ。

何故、人間が自然を支配したがるかは、これも簡単である。
原始の人間たち(祖先たち)は、当然今のような文明の利器の恩恵など
ほとんど無い状態にあって、常に生命の危機という緊張感の中で、
野獣の脅威や自然の猛威、人間であるという不可解な謎のために、
大変な精神的、肉体的な労力を消耗しながら、何とか文明の確立に
よって、その高度な知識と技術、宗教性とが人々の暮らしを大きく
変えて来た。
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日々の食糧は、農耕技術によって安定し、自然災害の脅威は
灌漑工事や植林技術などによって、大幅に減らすことが可能となった。

そうなると当然だが、日常使う言葉にも、人々の心(精神)を
安定させるための概念が誕生してくるわけである。

いくら文明が発展したとは言え、自然と人間との関係を切る事は
出来ないから、その自然の恩恵に対しての感謝と、自然の猛威に
対しての畏怖とが宗教性によって保存され、また文化として伝えられる
ようになった。

当時はまだ、一般人は無知であり、必要最低限の会話だけである。
王族の支配者らのように、複雑な知識の言葉は知られていない。

しかし、文明社会が高度になるにつれて、様々な建築物や工芸品、
伝統儀式など、他の文明との交易が盛んになるにつれて、内外問わずに、あらゆる場所の文化が行き交うようになるので、思想や言葉も互いに影響し合って、非常に多くの言葉や思想が展開していきます。
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一般人でも、権力者にその能力や功績が認められると、登用されて特別な知識を授かったという話は数多く存在している。

あのフリーメイソンの起源もこれである。彼らの祖はお城や神殿、教会などの建築を手がけていた石工組合が始まりだった。日本で言えば神社の宮大工などがそうである。

それで、結局何が言いたいかと言うと、このようにして言葉は次々と作られては、様々な文化の中に溶け込んで儀礼や宗教化、生活の知恵などにも広く浸透しているために、元々の発端の人間が『思考によって発明した概念』は、いよいよ具現化されたかたちで、実在性を帯びるわけである。

言葉の概念に過ぎなかった実体なるものが、今や私たちの平素の認識では、何もかもが実体となっている。 しかし、それらは心が生み出した概念に基づいている、いわば幻影のようなものである。

もちろん、そうかと言って極端にニヒリズムに陥っては、これもまた幻影でしかなくなってしまうだろう。
こうした時に、西洋哲学の知恵と、東洋哲学(仏法)の智慧の応用がすべてを正しく整える事が出来る。 

そもそも、洋の東西を問わずに、真理探究は人類の絶え間ない欲求であって、必要不可欠なものである。 その証拠として、今でも人類は『人体の研究』や『生命の起源』、『宇宙の謎』などを熱心に研究し続けているではないか。


【5】
それで、西洋哲学が最終的にまとめあがったかたち、それを便宜的に一言で言うなら、『人間とは存在者である』ということ。 つまり、“思考する存在”という精神それ自体が、いわば実体なるものであると見極めた。

それは決して脳がその本体などではなく、どこかの部位でも無ければ、神様のような外側に何か実在するものでも無かった。 また、自分の心の中に神性があるという自我的な認識でも無い。(概念的なものでは無いという意味)

そして、東洋哲学の仏法が明かしていたのは、『人間は存在者(思索する存在)ではあるが、そこで正しい観察(洞察)をしたならば智慧を瞬時に得て(転化して)、この時に観ること(認識している存在)が“存在そのもの(法)”であると黙している。(解き明かして示している事に気が付ける)』

私はこのことに、非常に絶句のごとく衝撃と歓喜、脅威をも感じて、ただただ、然りと念ずるばかりであった。 (これは・・・確かに言葉では無いし、しかも、これを何ら知らない者たちに率直に説くことは難し過ぎるし、むしろ、恐ろしく見えてしまうだろうと、深淵を見た先哲たちの心境を追体験しているようだ、まあ・・・実際そうなのだと言えばそうだろう。)

だから、出家者は最終的に苦行を経て解脱体験し、在家者や衆生に対して慈悲を以って、自他を正しく治めるのであり、また、在家者は出家者のように心の平安を保つのが苦行となる分、如実にこうした智慧を観る事(解脱)が出来るのだろう。

あと、これは私的な印象というか、研究していて気付いたことであるが、人間には主に2つのタイプがある。

1つが内面的(文系のような気質)であり、もう1つが外面的(理系のような気質)である。修験道などの求道者は明らかに外的気質のタイプであるから、もし、解脱体験を得たなら、今度は内面的な心の洞察による解脱(思想の問題)を成すことで、智慧という完成に至ると思われる。

そして、私などのような内面的タイプは、こうした思想哲学の究極において、解脱をして、今度はその智慧を以って、衆生(身の回りの人達)に対して慈悲行をしっかりと努力する事である。

このように徹する事は、究極的なニヒリズムやポピュリズムに陥る危険(墓穴)を正しく回避することになるだろう。

だから、釈尊も最初は悟りの境地を楽しんでいたが、ある時、梵天(ブラフマン=智慧そのもの)の勧請により、説法を開始したとある。

これは縁起の法とも矛盾なく正しい経緯であり、釈尊が最初に発心した時は衆生の状態、そこから出家し、苦行を重ねて限界を知り、極端を排した結果、娘から乳粥を頂いて体力を回復し、教団という極度な緊張感(苦しみ)から解放された中で、再び菩提樹の下で瞑想を継続して、ついに完全解脱に至った。
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そこからの説法(慈悲行)は、在家的であり、もちろん、釈尊は完成者であるので、この場合の在家的な空間は、慈悲行の完成です。 つまり、釈尊は一生涯で『衆生(無明)、出家(乞食)、苦行(迷妄)、解脱(悟り)、在家(布施)、慈悲(救済)、涅槃(光明)』というように、精神的な階梯と肉体的な階梯をそれぞれ極め尽くして、完全解脱に至ったわけです。

それでもし、釈尊がこれを世俗的なかたちで(一般的な価値観で)成就した場合、それがあの『転輪聖王』なのでしょう。 しかし、当時のバラモン祭祀の権力たちは、その多くが釈尊の説く真理が分からずに、自ら遠ざかって行った事からも分かるように、彼らがイメージする悟った人は転輪聖王という政治権力者の事だったわけです。 西洋で言えば王権神授説の思想を持った王の事になる。だから、当時のバラモン祭祀たちも、永遠の神ブラフマン(一神教)の信奉者だった。

そして、現代においてもこの論法で世界を統一しようと考える支配層が居る事もまた、昔から何ら変わりなく、常住思想の権力との関係にある事がお分かりになるでしょう。

だから、少しでも観察(調べて考える事)によって悟るなら(気付くなら)、自分の存在やその位置(成長段階)をよく知って、自分に不足しているものや余っているものを上手に配分して、自他に益することが本当の意味での幸福や真理到達、執着を離れることに、すべてが関係(繋がり)がある事が明白となるでしょう。



【6】
衆生の何らの執着や拘りは、概念という妄念への実体視が、訓練されていない脳(五蘊)にとって快楽であるために起こる苦しみそのものである。

悪しき習慣を離れる事は、年季の入った癒着関係あるいは、あらゆる臓器や骨にまで転移した癌細胞を引きはがすような激痛が伴うのである。

不断の修行や努力を怠るなと、教え続けられているのも、それだけ人の心(精神)は放置すると、あらぬ方向へと、逸れてしまう。
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法華経に説かれている火宅の譬えのように、(自分が知恵者『完成した人間』にならずに)いつまでも子供のように過ごしていたら、近くに知恵者が居ない限り、その子供は救われず、本質的な意味で死に至るという事を警告している。

正しい道から逸れれば、逸れるほど、人間本質においては、苦しみを自分で拡大再生産するのと同じ事だという、この恐ろしい事実に気付くことから、すべては変化(転化)する良縁を得る。

表面的な、世俗的な、野獣的な感覚だけで、こうした事実から、あるいは探究者(研究者)、また、絶えず説かれている教説などを衆生が軽んじる事は、それだけ恐ろしく、苦しい事である事を示しています。

一般的な『信仰』とは、こうした衆生に対しての便宜的な教えであり、自分が最も信頼できる存在を仮定して、自らの心の乱れを自省によって調律する効果がある。 

これの短所としては、概念への執着や依存にもなりかねないが、ただ、自ら苦しみから逃れたいとする願いは、後世の大乗仏教・慈悲行を重視する教団の僧侶らによって、悟りへの諸段階あるいは応急処置として正しく機能する。 

キリスト教では神の御子イエス・キリストによって救済され、仏教では阿弥陀如来によって救済される。神道では大日如来によって。

今となっては、科学技術の台頭で西洋も東洋も宗教の形骸化が相当に進んでいるが、量子論で紹介したように、むしろ、回るに回って原点回帰しているから、自分の意志次第でいくらでも本当の事は学べる素晴らしい時代に来ているが、しかし、その分、世の中はすっかり堕落し切っているという一種の強い制約があるから、これ自体もまさに、仏教の此岸から彼岸への正しい歩み(完成のための通過儀礼)となっている事に気が付くだろう。

だから、これを本当の意味で知る事が、本当の意味での幸福なり、真理なり、心の平安などを得る唯一の道のりであるという、不変の法則なのであります。




(16:43)

2022年11月21日

2022年11月18日

まだ備えていない人は、今からでも最善を尽くして備えましょう。
なるべく、今年中に完了できるようにするとベストです。


●『水と食糧の備蓄』を半年分以上。(推奨は1年分)

●『防災グッツ一式』。

●『イベルメクチンの備蓄』(シェディング対策)。

●『手持ちの現金』(預金封鎖対策)。

●『役立つ情報のチェック』(裏社会についての動向など)。

●『仏教、西洋哲学、量子論に関する書籍』(真理探究に必要)。

●『信頼できる家族や仲間』(人間関係を整理する)。


(23:22)

2022年11月13日

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有名ブログさんのリンク紹介で、当ブログの過去記事が妙に閲覧数が高かったので、その記事で扱っていた『イルミナティは何故、日本を目の敵にするのか』というテーマについて少しだけ書こうと思います。

まあ、長々と書いても大変なので、昨今の陰謀論(今は真実探求)の本格的な需要で、ある程度は知っている前提で書いていこうと思います。

端的に言って、イルミナティ(この場合、闇の支配者という視点)は、自分たちが真に賢いアーリア(高貴な人)であるというスローガンで、世界中の金融や軍事などを背後からの策略などを駆使して、また愚かな人間を駒に使いながら、自分たちの持つ思想の実現のために、それを本気でやっているわけです。
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ここで、どうして日本がずっと狙われるかと言うと、まず、日本は歴史的に裏側から見ると、血統的なユダヤ(古代イスラエル民族)の子孫であるという点が1つ。

そしてもう1つは、日本の文化は世界最古であり、自然との共存の長い歴史があるため、その精神性は自然文明の真骨頂とも言えるので、この日本人のいわば『共同体』の仕組みや、『多神教』の倫理・道徳観があるので、闇のイルミナティ勢力にとっては、自分たちとは真逆ですから、何とかして機械的に支配をして、日本の自然資源やその地政学的に便利な国、宗教的に今後注目される文化などを自分たちの支配下で利用しようと企てているようだ。
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日本人だけならば、まだ今のままでも十分、欧米の属国として利用されているから特段の心配は無いだろうが、その本来の精神が眠っている状態の日本人が今後の経済破綻や戦争などを機に、目覚めた時というのが、支配勢力にとっての一番の脅威になる。

今後の国際交流などで外国人が日本の文化に触れた時に、その外国人の彼らが日本人と協力して、支配層に反旗を翻す可能性などを考慮すると、はやり、戦略的に対策は強化せざるを得ないだろう。
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日本に古代イスラエルの伝統文化が確認できるという事は、歴史的な流れから言って、日本には他にも『原始キリスト教』の精神がほとんど純粋なかたちで、既に文化の土台にあるということだ。
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だからつまり、既存の形骸化したキリスト教徒にとっては、聖書をよく知っている者ならば、イエスが東の国に自分たちの仲間がいる言った話のいわば真相として、極東イスラエルと呼ばれる日本の地がそのまさに古代イスラエルの子孫たち、純粋な原始キリスト教の教えに生き続けて来た神の民がいるわけであるから、それはもう、支配層の人間からすれば、最も厄介な強敵なのである。

何故なら、日本には古代イスラエル(ユダヤ教)、仏教、神道、儒教、原始キリスト教のすべてが集まっている奇跡的な国だからです。
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日本の神社の構造はユダヤの幕屋の仕組みと一緒ですし、密教の儀礼は古代インドのバラモン祭祀(ユダヤ祭祀)のものと一緒であるし、儒教の『儒』はユダヤ人という意味であるし、儒教は政治経済の知恵がとても優れているし、原始キリスト教と言えば、当時は西洋では異端として迫害されて、エッセネ派は東方へと逃れている事からしても、こうした諸条件に見事に合致するのは日本だけです。
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だから、当の日本人がこの巨大な真実を知らないで、明治維新以降はずっと、西洋式が素晴らしいの一辺倒で盲目的に追従して来ましたが、実は文化的に格段にレベルが高かったのが日本の文化でした。

戦後生まれの支配層も、結局、日本から知恵を借りて良くも悪しくも色々やっているわけですが、しかし、西洋と東洋というのは、それぞれに必要な役割分担があって、お互いに協力し合って今日まで至っているので、本当の意味でのフィクサー(表には決して出ない仕掛け人たち)、たとえば日本の秘密結社である八咫烏などは、別に対立したり、破壊的な支配だけをするというような、そんな低い次元で助言はしておらず、世の中の様々な事情を鑑みて、霊的・物的の両面から世界の支配層と連携を取っているようです。
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なので、そういった深いところは、端的には語る事は難しいですが、簡単な部分だけを言えば、私たちはとにかく、あまりに知識が不足しているために、正しい判断が出来ないでいるので、ここをまずはしっかりと整えてから、日本人の場合は西洋の歴史や宗教をもっと本質的に知るべきでしょう。

そこから逆説的に、日本の古代の歴史や宗教観を見ると非常に分かりやすくなります。そうでないと、西洋の思想を知らずに、いきなり日本書紀や古事記などを見てもサッパリ分かりません。

日本の国史には、中東イスラエルから東征して来た古代イスラエル民族(日本人の祖先のルーツ)が、習合してきた世界中の思想・神話が高度なかたちで記録されている。
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だからつまり、そのイルミナティの勢力が日本人に目覚められると困るのは、このためでしょう。世の中のあらゆる高度で洗練されたものが、ほぼすべて日本起源だったことが判明するからです。

もちろん、西洋思想もユダヤ人が多いのも、それは同族だからで、そういう意味では何も、日本人という名称で分ける必要も無い時代ですから、ただ自然に人間が互いに知恵を出し合って助け合いながら、共存し、資源を分配して、宗教も思想も根底では真理が一致することを確認し合えば、それですべて治まります。
これを、今の時代は個人単位でやればいいだけです。 

ここに近代の国家や国連みたいな概念組織を出してくるから、めちゃくちゃにやられてしまうのです。支配層はこのやり口で大勢の人々を惑わします。また、資本主義的な考え方も間違った方へ誘導されるので注意が必要です。自分だけが幸せになる事は他の人の不幸を招きます。莫大な富も、身の丈を考えて、必要な人々へ分配しなければならない、資質が問われるのです。
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なので、今を生きる私たちは、世俗的にもてはやされるあの『Qアノン』や『アノニマス』、『自称保守』など、安易な発想で世界を嫌悪・敵視している極端な組織の喧伝に、感情的に賛同する事は非常に危険な行動になるだろう。

彼らは支配層がそうした反政府運動に対して、既に対策済みであることをあまりよく知らずに、その場の勢いや他人の意見をほとんど聞かずに暴走状態を是としているから、こういうのは政府の弾圧の口実になって利用されるのがオチですし、下手をすると法改正なども行って対処してくるので、そうなれば私たちの許された自由をも失う事になりかねないでしょう。

そのため、私たちはとにかく、もう少し賢くなって、色々な考え方を知って、それから自分でも真剣に身近な事からじっくりと考えて、世界を改めて見れば、自ずと分かる時が来るでしょう。

逆に言うと、『自分は何でも知ってる』と思っている人ほど、一生気付きません。支配層の餌食になって苦しんで死ぬだけです。敗戦国の意味をちゃんと理解した上で、話を進めなければ、何の意味もありません。

こういう思想の勉強は、日本の性善説だけでは突破できないので、ここをこそ、西洋思想の性悪説で、何でも疑問に思って、ちゃんと自分の認識や常識などを疑って、物事を分析する必要があるのです。
そうでないと、巧妙な嘘をついている権力者の嘘を正しいものだと、間違って理解するはめになるからです。
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2022年11月11日